- CAREER STORY
- エンジニアリング
「新しいこと」に挑戦し、
チームで试练を乗り越える。
- 酒井 浩太郎
- 青海エンジニアリング部 設計課 課長
1997年入社
工学部 機械工学科卒
※社员の所属部署?记事内容は取材当时のものです
キャリアパス
- 1997年
- 大船工場 施設部
- 2003年
- 本社 樹脂加工事業部 樹脂加工事業企画部 企画管理課
- 2004年
- 本社 建材?産業資材事業部 樹脂加工事業企画部 企画管理課
- 2005年
- 大船工場 大船エンジニアリング部 設備課
- 2006年
- 千葉工場 千葉エンジニアリング部 設備保全課
- 2009年
- 大船工場 大船エンジニアリング部 設備課
- 2013年
- 大船工場 大船エンジニアリング部 設備課[課長代理]
- 2014年
- 大船工場 大船エンジニアリング部 設備課[課長]
- 2015年
- 青海工場 青海エンジニアリング部 無機設備課[課長]
プロローグ
机械工学科で流体を学んでいた酒井は、読んでいた本で目に入った「メーカーは创造主である」という言叶に感铭を受け、就职活动ではメーカーを志望する。业种业态に特にこだわりはなかった。
「何に向いているかわからないし、とにかく新しいことがしたかった。化学メーカーに就职が决まったのも、巡り合わせでした」
入社后に配属されたのは大船工场。早く独り立ちしたいという一心で、ときに空回りしながらも目の前の仕事に一生悬命に取り组んだ。

STEP 1:24歳初めての主担当案件で
仕事の厳しさを実感する
入社3年目、酒井は初めて主担当として仕事を任されることになった。内容はフィルムの押出し机の能力増强工事だった。この初めての主担当の案件は、いまも酒井の脳里に焼き付いている。
まず各种设备の能力决定をし、设备内容に基づいて详细な设计を実施する。そしてその设计図面に基づいて工事が行われるが、製品确保のため生产ラインを止めずに行う必要があった。しかし当时、経験が浅かったこともあり、十分なシミュレーションができておらず、工事がスムーズに进まなかった。
「どの顺番で协力会社に作业依頼するか、重机や资材の配置から、现场作业の动线をどうつくるかまで、十分に段取りをしたつもりでしたが、まったく足りていませんでした」
工程を詰め込みすぎてしまい、协力会社に迷惑を掛けることになった。工事が上手くいくかどうかは、自らの段取り次第であることを身をもって経験した。
さらに新规设备を设置后にも课题に直面することになる。
「2枚のフィルムを同时に製造する工程で、2枚の厚みがどうしてもそろいませんでした。调査の结果、付近の设备から出る辐射热が影响していることがわかりました。本来なら设计段阶で気づくべきことでしたが、当时の私には见抜きようもありませんでした」
原因を特定した后は、さまざまな方に协力してもらい、断热工事を追加してようやく目标の生产能力の増强を达成することができた。
初仕事での苦い経験は、酒井にとって忘れがたい大きな教训となっているという。

STEP 2:37歳海外プロジェクトで
チームの力を知る
2011年、シンガポールに新工场を建设するプロジェクトが立ち上がり、主担当として酒井が抜擢された。初の海外プロジェクトであり、新工场立ち上げに携わるのも初めてのことだった。新工场设立の目的は、大船工场の主力生产物目の海外展开であり、同工场の製造プロセスを熟知するスタッフの力が必要とされたのである。
「海外への生产展开がテーマだったので、大船工场の社员に不安を与える可能性があり、计画段阶ではとても気を遣いました。
それでも前向きに取り组むことでメンバーの意识を前向きにしていくことができました」
麻豆番外篇にはシンガポールに3つの工场があったため、当时の建设に関わった先辈や、现地驻在の方やスタッフから酒井は多くのアドバイスをもらい、プロジェクトを进捗させた。建设计画がまとまってからは、製造?研究?エンジニアリング部のメンバーが加わり、大きなチームとなっていく。
「大きな规模になればなるほど、メンバーの力を活かすことが大事になります。メンバーを信頼して実务を任せることで、徐々にチーム全体の结束が强くなっていくのを感じました」
2013年に、新工场は无事完成する。酒井はこのプロジェクトを通じてマネジメントを通じて実现する「チームの力」の重要性を実感した。

STEP 3:41歳毎日が「试练」の连続
2015年、酒井は课长として青海工场のエンジニアリング部の设计课へ异动となる。辞令はまったくの予想外だった。まず、青海工场は无机化学を中心としたプラントが约半分を占めており、これまで有机化学の树脂加工を主に手が掛けてきた酒井にとっては未知の分野だった。
「青海は水力発电所や鉱山などもあるのですが、特に山での土木工事はまったくの未経験でした。今も先辈や部下を含め、多くの方に教えを请いながら仕事をしています」
「たとえばトンネル一つ掘るにしても、地质调査など工程が多岐にわたります。知れば知るほど、难しさを感じます」
そんななかでも酒井は课长としてチームを率いねばならない。15人の部下をマネジメントし、日々多くの业务を滞りなく进行させる一方で、ベテランの技术を若手に継承させなければチームとしての成长が止まってしまう。
「毎日が试练ですね」と苦笑いする酒井は、マネジメントをする上で「自主性」を意识していると语る。
「强制されている、やらされている、と思うと、自分の挙げた成果がどこか他人事のように映ります。自分の头で考え、自分の力で成し遂げた手応えを感じてほしい。时间はかかりますが、长い目で成长を见守るように心掛けています」
FUTUREメーカーは创造主であるべき
「新しいことをしたい」と飞び込んだ酒井にとって、これまでのステップはまさにチャレンジの连続だった。チャレンジを支えたのは、「人とのつながり」だったと酒井は振り返る。
「いわゆる『技术屋』に憧れてメーカーを选んだのですが、この仕事は人に始まり人に终わるのだと今は思います。お世话になった方、助けてくれた方は数え切れないほど。人とのつながりが今のキャリアをつくっているんです」
酒井のチャレンジはまだ终わらない。「他社に负けない新しい製品をつくりたい」と酒井は未来を见据える。
「斩新な製品を生み出すには、先端技术やビジネスモデルなど、社外の情报を积极的に吸収する必要があります。客観的な视点で『あるべきもの』を探りたい。これぞメーカーの醍醐味ではないでしょうか」